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画像タイトル:出水の鶴-2 -(38 KB)

鶴の寝床 名前: kumao [2010/01/25,10:20:49] No.649
鶴は寝る時は水の中に立ったまま眠るらしい。それで田圃の処々に水が張ってあった。


画像タイトル: -(29 KB)

出水の鶴 名前: kumao [2010/01/25,09:59:24] No.648
2010年1月11日出水の鶴を観光し長年の念願を果たした。
 出水の鶴は元禄7年(1695年)ころに渡来したといわれる。初めは数十羽だったが、大正10年3月3日天然記念物保存法により、天然記念物及び禁猟区の指定を受けて以来毎年増え続け1万羽もの鶴がやってくるようになった。主体はナベズル、マナズルである。
過去最多は1万3521羽で、直前の羽数調査でも1万羽を超えているから当日も1万羽以上は間違いないだろう。


画像タイトル:今年の干支 -(2 KB)

テスト 名前: ペンペン [2010/01/24,16:47:46] No.645
トラのアイコンをテスト投稿します


画像タイトル:09年の皇帝ダリア -(31 KB)

今年の皇帝ダリアが咲いたよ 名前: kumao [2009/11/12,15:53:16] No.644
今年も皇帝ダリアが空高く元気に咲いたよ
去年と同じだが。


画像タイトル:我が家の皇帝ダリア -(25 KB)

皇帝ダリア 名前: kumao [2009/11/05,10:52:29] No.643
 
 11月に咲き始める皇帝ダリア。我が庭の東隅に咲く。
成長すると3〜4mにもなることから皇帝と名付けられた。別名・木立ダリアとも言う。
 丈が3〜4mにもなり、花はピンク色で直径約20cmの大輪の花が茎の頂上につけます。晩秋の頃、空にそびえて立つ姿は圧巻。霜に弱く、また、夜、街灯の下ではつぼみが付かない。


画像タイトル:金の成る木 -(50 KB)

カネノマルキ 名前: kumao [2009/03/19,14:01:27] No.642
行きつけの散髪屋の玄関に、通称「金の成る木」の花が咲いていた。家に帰って、このことを話したら「家にもあるよ」と言われ、「えっ」と声が出た。今まで花が咲いた事が無かったので二鉢もあるのに気がつかなかった。その、金の成る木の花が今年に初めて咲いた。
 例の「花おりおり」の文を久しぶりを借りる。
「金の成る木が本当にあればよいが、本種は遊び心からついた名。葉は多肉質で丈夫、数年は落ちない。葉が小さいうちに硬貨の穴にさしこめば、成長するとすっぽり収まり外れなくなる。これを繰り返すと、金が成ったような姿に。別名は花月。花は暖地で冬に長く咲き、甘い芳香を漂わせる。」


画像タイトル:ボケ -(64 KB)

春の花 名前: kumao [2009/03/06,13:56:20] No.641
我が家に庭石を背景に毎年咲くので以前にも紹介した。だんだん勢いの無くなっていく他の花に比べて反対に勢いを増していく。
再度「花おりおり」の文を借用する。
「バラ科の花木は、いずれも花が似かよう。マルメロやカリンの花は枝先に一つ咲き、花柄がある。これに対し、ボケは数花が集まり、柄が極めて短い。名は果実を瓜とみた漢名の木瓜に由来。古代の中国では女性が求愛のため果実を投げた”詩経。”漢方では脚気の妙薬とされた。刺は短枝の変形。


画像タイトル:img20090220104303.jpg -(57 KB)

枝垂れ梅 名前: kumao [2009/02/20,10:43:03] No.640
地元の新聞に掲載されていた「枝垂れ梅」を市内の川島町に見物に行った。川島町は名前は昔からよく知っていたが現地に行くのは初めて。ようやく探して渡部さん(84歳)宅を訪問し挨拶して写させてもらった。
 樹齢百年、高さ約8b、幹周り1bの古木である。この樹の外に何本も増やしていた。


画像タイトル:船首像 -(25 KB)

海王丸の船首像 名前: kumao [2008/10/23,16:50:40] No.639
航海訓練所の練習帆船「海王丸)(2879d)が今朝日向工業港に入港した。海王丸は16年の台風23号により富山港で、座礁、18年に修理が終わって初めての入港である。日本丸の船首像「手を合わせて祈る女性」「藍青」は以前に紹介した。今日は同じく東京芸大の西教授が製作した海王丸の船首像である。
 海王丸の船首像は「横笛を吹く女性」「紺青」である。


画像タイトル:環境にも負けない障害者 -(62 KB)

義兄夫婦 名前: kumao [2008/05/14,11:15:28] No.638
画像は私の義兄だ。幼少のころ小児麻痺に罹患し、足が立たないため義務教育も終えてない。しかし両親の教育と本人の独学の努力で義務教育以上の実力を着けたという。それは近所の小学生児童が教えを受けに来たということでも分る。長じて親兄弟親族の反対を押し切り、県内で初めて設立された宮崎市の授産所に入校し、洋裁の技術を習得し、主として補修業務を家業としてきた。私も自動車運転免許も取得してない頃(55歳で取得)に本人から直接聞いたが、免許試験所に障害者用車が準備されて無い頃に車を持ち込んで試験を受けたという話を聞いて感動した。障害を持つ人たちのために尽力し、韓国にも数回訪問し、最近は韓国語の勉強会に出ているという。画像は宮崎市の広報の表紙を飾った一齣である。


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